2月23日は天皇陛下の63歳のお誕生日。
謹んでお祝い申し上げると共に、天皇陛下のご健勝とご多幸、
皇室の弥栄を祈り上げる。
記者会見での天皇陛下のおことば等については、プレジデントオンライン
「高森明勅の皇室ウォッチ」(3月1日公開予定)で取り上げさせて戴くつもりだ。ところで男系限定論者の中には、奈良時代の第48代・称徳天皇の後、
女性天皇の即位が「禁止された」と思い込んでいる人がいるようだ。
勿論、江戸時代の第109代・明正天皇まで、長い期間にわたり女性天皇の
即位が無かったのは、確かな事実だ。
しかし当たり前ながら、それが直ちに女性天皇が「禁止された」事実をを意味する、
と短絡してはならない。例えば、ある人が一定期間、事実として自動車の運転を控えていたと
仮定した場合、その人が運転を「禁止された」のか、自発的に運転
しなかっただけなのか、それとも更に別の事情から運転していないのか、
具体的に確認する必要がある。様々な可能性の中から、女性天皇が「禁止された」と断定する為には、
しっかりとそれを裏付ける根拠を提示する必要がある。しかし、むしろ逆の事情を窺わせる歴史上の事例がある。
第76代・近衛天皇が若くして崩御された後、次の天皇として
八条院(第74代・鳥羽天皇の第3皇女で、母親は美福門院得子。
近衛天皇とは2歳違いの同母姉)の即位の可能性が取り沙汰される場面があった
(『愚管抄』『今鏡』『古事談』、荒木敏夫氏『可能性としての女帝』
など参照)。結局、第77代・後白河天皇の即位で決着したが、もし女性天皇が
「禁止された」のなら、この時に皇位継承候補者として八条院の名前が
挙がるはずはないだろう。又、平安時代10世紀中頃の有職故実書『西宮記(さいきゅうき)』
(増訂故実叢書本、巻19、「天皇即位」)に「女帝御服」についても、
「童帝御服」と並んで記載されている。これも女性天皇が「禁止された」
のなら、説明しにくい事実だろう。更に、江戸時代に明正天皇が即位された経緯を見ても、
長年にわたる「禁止」をわざわざ解除したことを示すような事実は、
特に出て来ない。そもそも「女帝の子」の規定を持つ『養老令』については、
「形式的には明治初期まで国家体制を規定する法典であり続けた」
(『日本史広辞典』)と見られている事実も、付け加えておく。以上によって、称徳天皇の後、女性天皇がことさら「禁止された」
事実は無かった、と見るのが素直な判断だろう。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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